城本クリニックの美容外科
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本書は1999年に書かれたものですので、年号表記や現在の治療内容等が異なる場合があります。
城本クリニックの美容外科 美容外科最前線
発行:株式会社千早書房(1999年3月4日)
美容外科は究極の《幸福医学》
科学技術の発展のスピードは加速度的に進んできました。今世紀もそろそろ終わろうとしていますが、20世紀の100年間と、それ以前の100年間を比べて見ればその差は歴然です。月ロケットの例を持ち出すまでもなく、当たり前のようにその便利さを享受している飛行機も電車もテレビなどほとんどの電化製品も今世紀の産物です。
アインシュタイン博士が、原爆の実験が成功した時に感じたジレンマのように、あらゆる技術は、戦争のために発展してきたという皮肉な見方もありますが、一般には、科学技術は幸福を人類にもたらすために革新を繰り返してきたといえるのではないでしょうか。そんな科学の発達を背景にして医療もまた、時代とともに急速に発達してきました。
医学は人の命を助け、それを守ることを使命としてきました。人類の幸福の実現のためといえば、医学ほどぴたりと当てはまるものはありません。
医学の祖といわれるヒポクラテスのいたギリシャ時代からその理念は変わっていません。 その理念のもと、二千数百年かけて医学は人類に奉仕し、その目的をある程度までは達成したといえるのではないでしょうか。
いくつかの伝染病は地上から姿を消し、平均寿命も飛躍的に向上してきました。以前なら、亡くなってしまうような大けがから命を救ったり、生まれてもとうてい生きていけないほどの小さな赤ちゃんも元気に育つようになったりと、これらはすべて医学の知識と技術の進歩によるものなのです。
体にメスを入れる外科という分野に限っても、消毒や麻酔の技術が発展したことにより実に多くの患者さんの命が助かるようになったのです。
人の命を助けるという、医学の基本的な理念から言えば、大けがが治って命が助かればそれでいいわけですが、手足に障害が残るようでは、その先、幸福な人生を送ることができるという保証はありません。そこで、命が助かった後、機能の回復を目指すために、整形外科という、外科の部門が発展してきました。
整形外科というのは、その語源をたどれば、ラテン語の手足を意味する言葉に行き当たります。つまり、整形外科には主に手足の骨を扱う分野として発展してきた歴史があります。
整形外科によって機能の回復を実現したあと、新たに問題になってきたのが、形態でした。形態とは平たく言えば外観の問題です。これを扱う分野が形成外科ですが、形成外科は、第二次世界大戦のあと、アメリカで成立した外科分野です。
戦争で被害にあった多くの傷兵を救うために発展したのですから、戦争というのはいつの時代でも負にも正にも大きな成果を上げるきっかけとなるようです。
戦争では、爆弾や銃弾などで、体の一部を破壊されたり失ったり、大きなやけどを負うことは日常茶飯事です。たとえ命は取りとめ機能を回復したとしても、それだけでは社会復帰することはとうてい望めません。そこで、外見を整えるために、皮膚移植を中心とする形成外科の技術が革新的に発達したわけです。
第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして、湾岸戦争などを経てきたアメリカで大いに形成外科は発展しました。もちろん、戦傷者だけでなく、先天性奇形や一般のやけど、乳ガン、皮膚ガン、あるいは交通事故などで、皮膚、乳房、鼻、アゴなどの顔の一部分を失ったり、変形したものを元に戻す技術として、形成外科の需要は急速に高まってきました。形成外科は失ったり、変形した体の部分を再建する医療のため、再建外科と呼ばれることもあります。
美容外科は時代の要請によって、この形成外科からさらに発展して、一つの大きな分野になったものです。
今述べたような形を元に戻す手術を行う形成外科が再建外科なら、事故や病気の影響があったわけではなく、元は自然な状態のものをより美しくするために手術を行う外科が美容外科なのです。
整形外科、形成外科、美容外科の関係をもう一度整理してみましょう。整形外科は骨折や腰痛など骨や筋肉といった運動器を扱う外科です。そして、形成外科のうち再建外科と呼ばれるものは先天性奇形や交通事故、ガンの手術などによってできた変形や傷跡を元に戻すものです。さらに、美容外科は、機能的には問題もなく、ケガをしたわけではないけれども、さらに美しく整えるために手術を行う外科というわけです。
美容外科という名称は、日本では1978年に標榜科として認められたものです。それ以前から、美容外科に該当する手術は行われていましたが、標榜科として、病院などで整形外科、内科、眼科・・・などのように1つの科として掲げていいと認められたということです。つまり、名実ともにその必要性が広く認知されたということを意味します。
一部ではまだ、美容整形という言葉が残っているようですが、これはマスコミによって広められた一種の造語で、美容外科の本質をゆがめるような印象があり、好きになれません。少なくとも、外科医としての技術の裏付けのある良心的な医師には好まれない言葉ではないかと思われます。
日本の美容外科の歴史を簡単にたどってみましょう。日本で初めての美容外科手術は1926年に内田孝蔵博士によって行われた重瞼術(二重瞼にする手術)だといわれていますが、本格的に手術が行われるようになったのは、戦後です。戦後に生活も文化も急速に欧米風になり、欧米の白人的な容貌に対する羨望が強くなったからだと思われます。そのころ、1954年に西端騎一博士によって「美容鼻螫手術学」が著されました。本格的な美容外科の専門書としてはこれが日本で初めてのものでした。そして、しばらくは目と鼻が中心の手術がしばらく行われることになります。
60年代から70年代にかけて、〈美容整形〉としてマスコミなどに、センセーショナルに取り上げられるようになる時期がきました。この時代は高度成長期で、いわゆる日本の美容外科の黎明期となりました。
よくも悪くもこの時期に美容外科に対するある種のイメージができ上がってしまいました。美容外科に対して、一歩引いたようなためらいの感情を持つ人がいても、致し方ないような状況があったことも否定できません。
しかし、当時と現在では美容外科を取り巻く状況は一変しました。ちょうど、1978年、標榜科として認められ正式な診療科目となった時期がターニングポイントとなります。そして、この20年間の技術革新はまさに日進月歩です。
症例は飛躍的に増え、術後の経年変化のデータも十分そろうようになりました。レーザーなどの治療器具の発展もめざましく、パソコンと同じように、わずか二、三年前の機械が陳腐化してしまうほどのスピードでグレードアップしてきました。
美容外科といえば、アメリカやフランスが最先端という定評がありましたが、日本の美容外科医師たちの進取の精神と持ち前の器用さに研鑚を積むことで、いまや世界でもその水準がトップレベルにあることは学会などでも証明されています。
医療は幸福の実現のために発展してきたと言いましたが、外科技術の最先端を取り込んで、応用している美容外科こそ、幸福医学の最先端をいく分野であると自負しています。美しくなりたい、きれいになりたいと言っても、一人ひとりが違う個性であるように、美も個性的であるはずです。ですから、良心的な美容外科医師なら一人ひとりにあった適切な手術法を提示し、十分納得の上で手術を行うのはいうまでもありません。しかもどなたにでも納得していただける適正料金を設定しなければなりません。
確かな技術の裏付けがあり、幸福の医学を目指す私たち、城本クリニックのスタッフにはそれらは当たり前のことにすぎません。
豊かな時代の『美』とは何か
いまや美容外科に対する一般の人々の関心は高まるばかりです。女性誌やファッション誌などに取り上げられることも多く、しかも興味本位の掲載ではなくその本質を問いかけ、最新の技術を紹介する実質本位の記事が増えてきました。
リクルート対策として、男女を問わず学生が美容外科の門を叩くことが話題になったのもすでに数年前のことです。いまではさらに低年齢化が進み、女子高生も美容外科の門をくぐるようになっています。もちろん、高校生ならば、手術となれば親の同意が必要なのは言うまでもありませんし、良心的な医師なら、安易に引き受けることはあり得ません。とはいえ、美しくなりたいという気持ちは今になって急に高まって来たというわけではありません。いつの時代でも一部の人々は美しいものを得ようと奔走しました。
食べるものが足り、住むところに不自由しなくなったとき、つまり基本的な欲求が満たされ、余裕が生まれたとき、次に、人間が希求するのが『美』という概念だったのではないでしょうか。
美しい女性を得ようと、決闘までしたのは、中世封建時代の貴族たちです。働かなくても食べられる故、美に命を賭けることができたのです。美は豊かさと切っても切れぬ関係にあるようです。
一方で、美しいものを見分ける力が人間には古くから備わっています。それは人間が人間として活動し始めた頃からといってもよいでしょう。文明が生まれたころの、土器や石器などですら、美しいものしか残っていないからです。現代の私達が博物館で見ても、これらの品々を美しいと感じることができます。それはそこに、機能美が存在するからに他なりません。
日本でも、三内丸山を初めとして、4000年以上前の縄文遺跡が次々と発掘され、従来の考え方を覆すような出土が相次いでいます。そんな中から出た、一つの漆の椀は現代の木地師や塗師の技術や出来映えと比べても遜色のないものだといわれています。美しいものを作ろうという意欲は4000年前の繩文人にも現代人にも共通する心なのです。
つまり、機能的に優れた、器や道具は誰の目をも満足させる美しさを備えています。使い勝手のよいものはデザイン的にもすばらしいことが多いということは、有名なニューヨーク近代美術館の永久展示物となった数々の日用品を見れば一目瞭然です。ボールペンやハサミ、クリップなどの文具から、コーヒーメーカーやペーパーホルダーのような日用品に至るまで、使いやすさと機能美が一体となった品物はいずれもベストセラー、ロングセラーの商品として流通しているものばかりです。
美にはそれだけの存在感と魅力があるのです。
道具のような無機的な美しさだけでなく、生態学的に見ても、美はある種のエネルギーを備えています。
ゴクラクチョウのメスは美しい羽を持ったオスのゴクラクチョウに惹かれます。その結果、より美しい羽を持ったゴクラクチョウが自分の遺伝子を残す可能性がより高くなります。そういう例はほかにも、いくらでもあります。
群で暮らし、ハーレムを作る馬やセイウチなどはより強い雄がハーレムの主となりますが、強い雄は、毛並みも艶やかで、スタイルもよいのはいうまでもありません。動物にとっては美しさのエネルギーは精力的な強さに還元されるものなのです。
人間はどうでしょうか。現代のわれわれだけが、ファッションにうつつを抜かし、体を飾ることに取り付かれているわけではありません。古代の人々は祭礼ともなれば、自分の身体を絢爛豪華飾りたてました。入れ墨をするなどして、体の外見を変えることもごく当たり前のように行われてきました。現代人にはピアスの穴一つあけるのにも、躊躇する人がいますが、ピアッシングは古代から、あらゆる民族に共通する風俗であり、ファッションでした。なぜ、日本の現代の女性に躊躇する気持ちがあるのかは、後にまた述べたいと思います。
美を希求する心はいつの時代にも共通するものだと言いましたが、おもしろいことに美人の概念は時代や地域によってよく変わるものです。
古代から、現代に至るまでに描かれてきた美人画の類を一通り見渡すだけでもすぐにこのことに気付きます。日本に限っただけでも、奈良の天平時代の代表的な美人画「鳥毛立女図屏風」の女性は、とてもふっくらとした女性に描かれていますが、大正時代の、夢二に代表される美人画の女性は皆ほっそりと痩せて面長です。瞳も黒目がちで大きな目をしています。それはむしろ現代風の美人といえるかもしれません。
もちろんこれは夢二好みの女性像ですが、当時の夢二の人気を考えれば、多くの人に受け入れられた美人像だったに違いありません。
美人の概念は異なりますが、どの時代の美人も美人であることは容易に納得できるのはなぜでしょうか。それは部分部分は違っていても、全体としてのバランスがとれているからに他なりません。
ある古美術の鑑定家に、目利きとはどういうことか聞いたことがあります。門外漢にとっては、どうして、価値のあるものと価値のないものを瞬時に見抜くことができるのか不思議でしかたがありませんでした。
彼は、一言、「それはバランスです」と答えました。
逆に「先生はどうして、美人になりたいと願って訪れる自称不美人たちを、メスの力だけで美人だと納得させることができるのですか」と聞かれてしまいました。
彼は同じことだというのです。私にもバランスを見抜く力があるというのです。古美術と女性美の違いはあっても、それを一瞬に見極める力は共通するものだというわけです。ソクラテスは「美は、種々雑多のものに固有の属性ではない。いかにも人や馬や、衣服、処女、竪琴などは美しいかもしれない。しかし、これらのものを越えた上には、美そのものがある」と述べています。
ソクラテスがこう述べたときから、美学が始まったともいわれている有名な言葉です。人間にはあらゆるものを通して知覚できる美という共通の認識があるというわけです。
豊かな時代の特徴として、ダイエットへの関心の高まりがありますが、完全なる肉体への信奉は男女を問わず強まっています。スーパーモデルのステイタスはかつてのハリウッドスターを凌ぐものがあります。ごくふつうのサラリーマンが昼休みに疲れた体にむち打ってジョギングする風景も珍しいものではなくなりました。
ロサンゼルスで、白人警官の暴行が原因で暴動が起こったのは記憶に新しい出来事ですが、夜間に外出禁止令すら出された厳戒のロサンゼルスですら、いつもの時間になると、どこからともなくジョギングスタイルの男女がわらわらとわき出すように現れたと言います。
美しくありたいというよりも、美しいことが当然のような風潮すらある昨今です。
ダイエットしなければ、昇給させないと公然と宣言している企業もあります。もちろん健康管理もあってのことですが、太った体が企業イメージに合わなければ、営業的にマイナスだと見なされるわけです。正しいことだとは言い切れませんが、サービス業の中には容姿を問題にする企業も確かにあります。
人問はみな外見が違うのだから、内面こそ、大事だというのは全くの正論です。
仕事にしても、家庭生活にしても、外見でするわけではありません。その人の能力や人柄がすべてです。けれども、都会のような人口密度の高い社会では、人の内面をことあるごとに探りながら人と接するわけにいかないのです。
その結果として、外見を手がかりにして人とコミュニケーションせざるを得ない状況になっています。この傾向は強まりこそすれ弱まることはないと思われます。しかも、世界的な傾向として今後も強まっていくでしょう。
日本人の美容外科に鉗する意識変化
アメリカやフランスが美容外科の先進国だといいましたが、欧米諸国に対して、日本の美容外科の発展を遅らせてきたものがあるとすれば、それは日本人が自分の身体に持つ特徴的な意識だと思われます。
「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは、孝の始めなり」
これは儒教の教えです。
儒教は江戸時代から、武士階級をはじめ、広く庶民の間まで広まった教えです。せっかく親から、いただいた体に傷をつけるのは親不孝であるということを説いているのです。儒教的な考え方は親子を固定した関係に縛る傾向がありますが、今や親子関係はこれまでと大きく変化を遂げています。友達親子などという呼び方もあるほどですから、すでに意識改革は始まっていると捉えるべきではないでしょうか。
若い世代では女性に限らず、男性まで茶髪ピアスが当たり前になってきました。タレント、スポーツ選手をはじめ、社会的に影響のある学者などの文化人にまで、この傾向は広がっています。
これは当然といえば当然です。少し冷静に考えてみれば、イヤリングと儒教にはなんの関係もないことがわかるはずです。イヤリングの習慣は儒教の時代より古くから、世界中至るところで行われてきた習俗です。
もちろん欧米にも近代には、体を傷つけるのは野蛮で、未開人ゆえの行為であると考える時期がありました。しかし、それは一面的な考えであって、近年になり民俗学的な思考法が広まるにつれ、むしろそう考えることは誤りだということがわかってきました。
未開社会よりも文明社会が優れているのではなくて、文明社会がなくした重要なものを持ち続けている未開社会に学ぶべきだという考えが広まってきたのです。近代的な合理主義はここまで文明を発展させてきましたが、すべてを近代的な合理主義で割り切って考えるのではなく、たとえば、人が持つプリミティブな嗜好や感情を大事にしようではないかということです。
これとは別の次元でも日本人は過去の幻影に悩まされているといえるでしょう。それは、我慢が美徳という、武士道の精神につながるものです。『武士は食わねど、高楊枝』というわけです。
武士の社会では、衣食住の問題でさえ、やせ我慢で通してしまうことを美徳としてきました。この考えからは当然のように、容貌のことであれこれ悩むことなど、めめしく恥ずかしい行為だという考えが出てきます。これは武士だけでなく、広く庶民にまで行きわたった美風ですらありました。
しかし、現代は個人主義の時代です。男女を問わず、美しいこと、かっこいいことが持てはやされています。他人の価値観に縛られる必要はまったくないのです。それが、現代という時代の風潮なのです。
儒教的な考えにしろ、武士道の我慢の精神にしろ、日本人の意識の中からずいぷんと薄れてきました。これによってあと一歩を踏み出せなかった人がまだまだいましたが、いまやその心の枷がはずされようとしています。
そんな時代に生まれた幸福を享受すべきではないでしょうか。なにものにもとらわれず、自分の価値基準で判断を下せる時代がやってきたのです。そして、その気持ちに十分応えられるだけの信頼に足る技術を私たちは持っています。
迷っているならば、どうか相談してください。無理な方法は決してお勧めしません。場合によっては、こちらから手術を断ることさえあります。
美容外科の治療は決して手遅れということはないのです。時間をかけて考え、きちんとした答えが出てからでかまわないのです。私たちはいつでも扉を開けて待っています。